top of page
  • 執筆者の写真Kumi Umuyashiki

Super Ego(超自我)


「自分に思いやりを持てない」から悩んでいる人がいました。

へとへとに疲れているのに、休むことができないと、真剣に悩んでいた。


小さい頃からそうだった。

自分は充分だと思えないし、自分に厳しくしかできない。


どれだけセラピーを受けても、自分に思いやりを持てない。


いったいどれだけのセラピーを受けたら、自分に思いやりを持てるようになるのだろうか、と・・・。



サイコセラピーを学んでいるカナダ人の仲間の悩みだったから、みんなで色々対話をしていると、ひとつ解決法が出てきた。


その解決法とは、「そのままの自分であること」で、楽になれるかもしれない、ということだった。


でも彼女はまたすぐに、「それが私にはできない。そのままの私ではダメだと自分を裁き続けているの」と言っていました。



おもしろいことに、「そのままの自分であることができない自分」を、そのままにしておくことが、人はなかなかできません(苦笑)。


人の心は、ややこしい。


「自分に思いやりが持てないんです」という自分があっても良いんじゃないのって、そんな自分をそのままにしてみるのはどうだろう。



「自分に思いやりを持ったり優しくしてはいけない」という信念は、

いったいどこから生まれてきたのだろうかって好奇心を持つと、

「自分に思いやりを持てない」部分に教えてもらえる大事なことが、

沢山あると思うのです。



「自分に思いやりを持ってはダメ」という信念ができてしまったことには、

必ず理由があるはずで、


そういう信念を持っていないと、

都合が悪いと感じてしまう体験が、過去にあったのかもしれない。



「信念」と書いているのは、

これは「信じていること」であって、

そう簡単には手放すことができない思い込みだからなのだけれど、

その起源がどっかにあるのだよね。



だから「思いやりが持てない」ことを悩むよりも、

「自分に思いやりを持たないことで、何を得ていたのか?」、

「自分に思いやりを持たないことが、何に機能していたのだろうか」と、

好奇心を持つところにいてあげたいなと思う。



「思いやりが持てない自分」は、

また別の自分によって裁かれたり嫌われたりしているので、

「自分に思いやりを持ってはいけない!」と頑張っていた自分のパーツというのは、

結構疲れている可哀想なパーツかもしれない。



仮に、

「甘えてはいけないのよ!」とか、

「何でも自分でできる強い子になりなさい」と、

子どもの頃に親に言われてきたとするのであれば、

(それが3歳~5歳くらいの時に親が言っていた言葉だったりすると)、


その声は大人になった私たちの心の中でも、

いつまでも聞こえていたりするらしく、

そういう声のことを、「スーパーエゴ(超自我)」と言うそうです。



私もスーパーエゴの声に散々支配されていると気づいているにも関わらず

(その存在や声を認識している)、

条件反射的に、

やっぱりその声に従うように行動してしまうもの・・・。



スーパーエゴの声に従うように行動するとは、

「こうでなければならない」とか、

「正しいことをしなければならない」とか、

「怠けてはダメ」とか、

そういうモラルを語る声に従うってことなので、

疲れるんだよ~。

そりゃもう、クタクタだよ。



でも、その声が、

「スーパーエゴの声だと気づいている」だけで、

体験は随分違ったものになっていく。



気づくことで、

スーパーエゴの声を唱えてしまっている自分を裁かなくなる。


「自分に思いやりを持てない」という自分に、

思いやりが持てるようになる。

(心のレイヤーってややこしいですね)。



そして、そのスーパーエゴの声は、

何度も何度も、アホのひとつ覚えみたいに繰り返され、

自分はいつまでもその声に従って行動してることに気づくようになる。


その声に従って行動することで苦しんでいる自分がいるということも、

客観的に認識できるようになる。

(でもこの時はまだその苦しみが、自分そのものに見えている)。



だけどそれを何度も繰り返しているうちに、

アホのひとつ覚えの声をキャッチする力が洗練されてきて、

その声に気づけば気づくほど、

その回数が増えれば増えるほど、

その声に従わないという選択が、

少しずつできるようになってくるのだと思う。



その声に「もう、いいよ、充分聞いたから」って、

冷静に対応できるようになったりして。



でもこれって結構地道なプロセスであり、

「もういいよ、充分聞いたから」と言えるようになることって、

「瘡蓋をはがしてももう血が出なくなった」みたいな体験で、

血が出なくなるまで、

結構長い時間がかかることもあるかもしれないし、

または短い時間で解決することもあるかもしれない。



期待をかけすぎたり、

自分でどうにかしようって思うと、

それは逆効果になって、スーパーエゴの声を強めてしまったりする。



だから、できることって、

やっぱりただ「気づく」ことなんだと思う。


その声がそこにあると気づいて、

その声がそこにあることには、

きっと正当な理由があったのだと気づくこと。


だからその声のことも裁かず、

その声も、今はそのままの自分の一部として、仲間に入れておく。



*****


スーパーエゴは、


「良い人にならなければならない」とか、

「相手を責めてはいけない」とか、

「ちゃんとしなくちゃいけない」とか、

「お姉ちゃんらしく」とか、

「自分の気持ちより相手の気持ちを大事に」とか、


そういったモラルの声。


それらの声が馴染み深いものとしてあるということ。

またそれらの声に支配されるように動かされて生きてるってこと。



その事実を裁かずに気づいていくことができると、

少しずつ心の苦しみが緩和されたり、

心の視野が広がるきっかけになるのではないかな。


そこに気づくことで、

今まで知らなかった可能性が広がりだしたりするんだよ。


英語ですが参考までにスーパーエゴについて ☞ 動画

オンラインカウンセリング
ちゃんとしなきゃダメよ、うふふ。

閲覧数:70回0件のコメント

最新記事

すべて表示
記事: Blog2_Post
bottom of page