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  • 執筆者の写真Kumi Umuyashiki

5つの思いやり

更新日:2021年3月8日

毎日割と、のんびりしています。

時々、本を読んだり動画で勉強したり・・・。


"思いやり(Compassion)"には、5つのレベルがあると、

ガポール・マテ(医師)が教えてくれました。

直接じゃなくって、オンラインコースでの話だけどね。


アウトプットしないと忘れてしまうから、ここに書いておこうと思います。



5つの思いやり


(1) 普通の思いやり

これは動物にもあるもので、

例えばネズミは他のネズミが苦しんでいると、その苦しみを感じることができる。

うちの犬も2匹いるけど、2匹を見ていると犬の間でもあると感じる。

動物も人間にもある、思いやり。

相手の感情に気づくこと。



(2) "分かろうとする"思いやり

愛するためには、理解することが必要。

分かろう、理解しよう、ということなしに、愛することはできない。

「この人の困難を解決してやろう」という考え方ではなく、

「なぜ、この人は苦しんでいるのだろう」と考えてみること。



(3) "相手は自分と変わらない"ということに気づく思いやり

自分の中で解決していないことを、

相手の中で解決しようとしていないだろうか?

例えば、自分がカウンセラーや精神科医であったとしても。



(4) 可能性という思いやり

人には、「そうしないとやってこれなかった」、ということがある。

それがその人の生き方になり、

それはその人なりの「適応 (adaptation)」だったのかもしれない。

例えば何かに依存している人だって、

きっと依存しないと、やってこれなかったのだ。

そんな人たちは、自分のことをネガティブに捉えている。

自分は問題が多いと捉えている。


あなたは問題があるその人を、

「問題がある人」とではなく、

「そのままのその人」として見ることができるだろうか?


「そのままのその人」として、そこにある可能性とは何だろう。


本来の自分を知り、

そこに変容の可能性があることを知ること。


"希望(hope)"と"可能性(possibility)"。


"希望"は未来に存在するが、

"可能性"は「今」に存在する。


あなたは他者のことばかりではなく、

自分の可能性についても見つめることが必要だ。

それは「自分に取り組む」ということでもある。



(5) 真実への思いやり

自分の真実を知ることは、自分を自由にしてくれる。

真実に直面することなしに、癒しは起こらない。


人は自分のことを、恥だと思うことがある。

悪いことをして恥ずかしいと思うのであれば、

それは自分を改めれば良いことだ。

だけど、

自分自身、自分そのものが恥だと感じる時、

それは人にとって、

最悪の状態だと言えるかもしれない。


自分が恥だと思う時、人は嘘をつくのです。

恥を感じたくないので、

嘘をついて、隠そうとする。

だけど隠そうとする限り、

本当の自分(真実)を見ることはできない。


真実とは、

「自分は傷ついている」ということであり、

そこには痛みがあるかもしれない。


痛みを恐れずに、

その痛みを表面化させること。


誰か他の人の中に、そんな痛みがある時、

それを、治してあげようと、しないでいること。


他者を良くしたい、という思いは、

相手のニーズではなく、

自分のニーズだ。


そうではなくて、

ただ、空間をホールドすること。

その痛みがあっても良いという空間を、ホールドすること。


思いやりとは、人を評価や批判することではない。

そこに思いやりがある時、人はやっと、真実を見ることができる。


その人から、痛みを取り上げてはいけない。

痛みがないと、

その痛みを直視することができないと、

癒しは起こらない。

その人には、痛みをホールドする力がある。

そのための、空間をホールドするということ・・・。


身体がノーと言うとき
しばらく暮らしたTexada島 in Canada

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