• Kumi Umuyashiki

罪悪感はマヌケな友達

そうしないと、生きられない、

生きてこれなかった、というようなことが、人生にはあります。


それは、本当にまだ、

ほんの小さい小さい頃でも、

そうしないと、生きられないかもしれないから、

その脅威のために、

そうせざるを得なかったってことが、

きっと誰にでも、あるみたいなんです。


そうやって、

"本来の自分" は、そうありたくなかったにも関わらず、

知らない間に、

生きるために、

そうせざるを得ないようになってしまうことを、

「適応」と呼びます。


適応せざるを得なかった世界は、

どこか居心地が悪いし、信用できないものとなってしまい、

本来の自分ってどんなものだったのかも、

分からなくなってしまいました。


「生きられないかもしれない」というのは、

幼い子にとっては、

「愛されないかもしれない」ということでした。


愛されなければ、子どもは死んでしまうのです。


そうせざるを得なかった、その生き方が、

いつしかその人にとって、

「役割」となることがあります。


本来の自分と、役割を、混乱してしまいます。


頭で考えていることと、

体で感じていることが、

異なっています・・・。


虚しさに心が苛まれ、体には調子の悪さがある。

空っぽであり、

地に足がつかず、

何かに夢中になっているのは、

もしかすると、夢中なのではなく、

依存しているのではなかろうか・・・。


わたしには、

そうしなければならない理由が、

どうしようもない理由があった。


そのことに、好奇心を持ってみたら、どうだろう。


幼い頃のことは、いつだって、体に宿っているのです。


そこに、罪悪感がある時、

体は何を感じているだろう?

体は、何を言っているのだろう?


自分は充分にできていない。

良い母親ではなかった。

良い子どもではなかった。

もっと頑張るべきたった。


こういう考えは、感情ではなくて、

あなたがそう「信じている」ことです。


あなたには、そう信じなければ、

やっていけない理由があったのではないですか?


頑張っていないと、愛されないかもしれないから、

忙しくしていないと、承認を得られないから。


すべてそれらは、生きるための「適応」だったのかもしれない。


人間には、愛され愛したいというニーズがある。

同時に、本来の自分自身でいたい、というニーズがある。


このふたつのニーズは往々にして、互いを満たすことができないのです。

なぜならば、本来の自分であることで、

わたしはあなたに、愛されないかもしれないから。

本来の自分であることで、子どもは親に、愛されにかもしれないから。


だから、

本来の自分であることを押し殺してきてしまった。

それがコーピングメカニズム(対処法)だったから。


そうやって学んできたことを、大人になっても、やっている。


自分は、「このように振る舞うべきだ」という観念。


だけど時々、そのコーピングメカニズムが、機能しないことがある。


「こう振る舞うべきだ」という相手の期待通りに、

自分が振る舞えなかった時、人は、罪悪感を持つのです。


罪悪感があることで、

自分は、「あのダメな自分」でいることができるのです。

"本来の自分"ではなく・・・。


だけど罪悪感は、

自分が自分を批判していることに、気づかせてくれる。


罪悪感は、マヌケな友達。


それはあなたが、

本来の自分ではない自分を演じていると、

教えてくれているのです。


癒しは、わたしが本来の自分 (True Self) であれた時に、

自然に起こってくるものです。


本来の自分でない限り、人は癒しの力を発揮できない。

だから勇気を持って、

自分へ取り組むことを、

裁くことなく、

はじめてみるのだ。


"Unconditional Positive Regard" と、

カール・ロジャーズ(カウンセリングの父)は言ったらしい。


「条件を付けず、前向きに受け入れる」というような意味があり・・・。

それは条件付きで愛するということとは、反対のことなのです。


そうやって、「無条件で愛される」ことが、

子どもの脳の発達に、欠かせないというのです。


わたしたちは、みんなたぶん、

親子の間でも、パートナーとの間でも、友達間でも、

条件付きでしか、愛せないのかも、しれません。


愛していると思っている相手が、

難題をぶつけてくるとき、


「なんでこの人は、こんなに分からず屋なんだ」と、

憤慨するとき・・・。


ヨガの先生なら、

生徒がヨガの練習を継続しないとき(笑)、


カウンセラーなら、

あのテクニックを使ってもクライアントが改善しない時、


「あの人は、難しい人だ」と、思ってしまう時・・・・。


その「あの人」のそのままを、

無条件で受け入れられないあなたの問題は、何なのだろう?


何があなたに、「あの人」のあるがままを、

受け入れられなくしているのだろう?


そういうことを考えることが、「自分に取り組むこと」なのです。


自分に耳を澄ましてみる


※このブログは「からだがノーと言う時」の著者で医師であるGabor Mateの講義を要約し日本語でまとめたものです。

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