Kumi Umuyashiki
瞑想に役立つ10つのこと
更新日:2022年2月7日
昨日、私の先生であるSteve Rossからサルヴァプリヤナンダ(Sarvapriyananda)という僧侶のYouTubeが送られてきました。
その中で、「瞑想に役立つ10つのこと」が提案がされていましたので、ここにシェアをします。
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定期的に練習する アビヤーサ / abhyasa :繰り返し繰り返し毎日練習する。
毎日同じ時間に練習する マインドをトレーニングするには日々同じリズム(同じ時間・場所)で練習する。
瞑想する場所を作る 「この場所に来たら瞑想しなきゃ!」とマインドが学んでいく。
ネガティブな思考に囚われない 罪悪感、怒り、不安などにマインドは囚われる。そういったネガティブな感情が出てきたら、ひとつのことに集中してみる。マインドはひとつのことにしか集中できない。瞑想以外の別の事をしても良いので、ネガティブな思考にいかないようにする。
ネガティブな人や場所と時間を過ごさないようにする
シンプルに生きる 多く持てば持つほど雑念になる。(これは道徳的生きるということ)。
広がりを感じながら生きる 大きな山、海、広いスペースを意識の中にイメージする。意識よりも大きな広がり、自分人生の時間よりも大きな広がりを感じる。時間や空間よりも広い。
精神的な成長を望む バクティ(愛や献身)の要素を培うことが助けになる。
日常生活、仕事、家事、すべてを神聖なものとして行う 儀式のように行うと効果がある。
瞑想をする仲間を持つ
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サルヴァプリヤナンダ(Sarvapriyananda)のYouTubeは、「どうやったら瞑想でもっと雑念を静かにできるだろう?」っていうテーマのお話でした。
彼の話を少しだけここに引用。
バガヴァッドギータの第6章で瞑想について書いてあるということで、アルジュナがクリシュナに瞑想のやり方を質問している箇所があります。
アルジュナは「瞑想は機能しないから興味がない」みたいなことをクリシュナに言うそうです。
だって、どうしたって頭は静かにならないのだもの。
思考を静かにする方法が分からない限り、瞑想は実用的じゃない、と。
サルヴァプリヤナンダは、Advaita Vedanta (アドヴァイタ・ヴェーダンタ = Non-Dual: 不二一元論または非二元論という)の見方で、クリシュナの言葉を解説している。
非二元論(アドヴァイタ・ヴェーダンタ)とは、高次なもの(神聖な物)と低次なもの(世俗的なもの)のように二分化して世界を見ないので、「神に献身的に奉える」というような話ではなくなってくる。
パタンジャリのヨガスートラでは、心を動き(vrit) を静め(nirodha)、深いサマディに向かいますが、これもアドヴァイタ・ヴェーダンタ(非二元論的)ではない。
サンキーヤも対象物(プラクリティ)と意識(プルシャ)とか、「観察者」と「見られる側」と分けたりするが、これもアドヴァイタ・ヴェーダンタ(非二元論的)ではない。
では、アドヴァイタ・ヴェーダンタとはどんなことなのか?
それは、世界のすべてのものに自分を見ること。
世界のすべてのものと自分が同一であるということ。
すべてのものの輝きが自分と同一だということである。
クリシュナはバガヴァッドギータの中で、カルマヨガも神への献身(バクティ)も瞑想(ラジャヨガ)も教えているけれど、その教えとは、アドヴァイタ・ヴェーダンタがあってのことであり、アドヴァイタ・ヴェーダンタを体験するため故のことだ、と。
"One only exists."
「ひとつのものしか存在しない。」
バガヴァッドギータの中でアルジュナはそれでも「無理」と言う。
"すべてがひとつ(非二元論)"という意味なのはわかるけど、無理。
だって思考がざわざわしてるから。
マインドが問題。
理論は分かるが、思考がうるさくて無理。
確かに、思考は変化する。
思考は強い。
変えられない。
コントールできない。
マインドはサルみたいに動きまわる。
落ち着きがない。
だから、思考は静かになるようにトレーニングしたら良い。
無理!
(笑)
私も何年やっているんだろう、瞑想・・・。
18年くらいはやってるけれど、今もモンキーマインドはワイルドだ。
でも、瞑想をするから、思考がうるさいことに気がつく。
瞑想するから、思考の力がどれだけ強いかが、分かる。
瞑想したら20秒で思考が出てくる。
次から次へと違う思考が出てくる。
思考は止まらない。
なかなか静かにならない。
思考が出てくるとずっと「観察者」で留まることは難しい。
「そんな思考をトレーニングするなんて実践的じゃないわ!」
アルジュナの言い分がそうなんだったら、まったく共感。
(ちなみに私はバガヴァッドギータをそんな必死に読んだことはなくって、ギータをサンスクリット語から英語に訳している人の通訳したり、そういったことに精通してる人から教えを得ただけであって、あの人生相談みたいなバガヴァッドギータは、実はほんの数回しか読んでいない・・・。)
クリシュナの教え。
すべて、繰り返して行う練習が必要。
アビヤーサ(abhyasa)。
「繰り返し」練習すること。
何度も何度も。
サンキーヤは「自分は何者」ということを知る = 知識、だそう。
ヨガはマインドを構築してその知識と共に生きること。
頭だけで理解することではない。
学んだ知識を生きた経験にしなければならない。
その力はヨガにより、得ることができる。
ヨガは力、パワーなのだと・・・。
そうすると、いずれ、すべてのものを新たな目で見ることができるようになっていく。
これが智慧となる。
これがパラダイムシフトとなる。
すべての生き物、すべての存在するものの中に、ひとつの変化しない永遠の存在があることが、見えるようになること。
「自分がそれそのもだ」だというその体験が、アドヴァイタ・ヴェーダンタ。
繰り返し繰り返し、練習をする。
頭で理解しただけでは変わらない。
セルフヘルプの本も読んだからって、たぶん何も変わらない。
繰り返して練習しないと体験にならない。
システマティック(体系的)に繰り返して練習することで、マインドをトレーニングすることができる。
やっぱりアビヤーサ (abhyasa)。
繰り返して瞑想すると、いつしか、自然に変わっていく。
これはたぶんヨガスートラにも書いてあったのだと思うのだが、
その時に忘れちゃいけないのが、ヴァイラーギャ(vairagyam / 離欲)。
(スートラの場合は練習にさえ執着しないって話だった)。
瞑想を行う時は、「精神的な成長」を求めたいのであり、そのために瞑想の時だけでも、外の世界や出来事に繋がっているロープを、切り離してみる(vairagyam)。
だけどここがきっと、一番時間がかかって難しいところだと思うのだ。
以前、Neti Neti 瞑想というのを練習したことがある。
自分が自己同一しているものを徹底的に否定し続けるという瞑想法。
私は日本人じゃない。
私は女性じゃない。
私は背が低くない(笑)。
私は思考じゃない。
私はその感情じゃない。
私は~~じゃない。
私は~~じゃない。
と、ずっとやっていく。
でもこうしてどんどん否定をしていくとあるポイントで、「私は実はそれらのものではなかったと同時に、あらゆるものだった」ということに気づくのだ。
そのターニングポイントというのは結構顕著にわかる。
意識の階層が変わるような感じで。(私の場合だいたいそこにたどり着くのに45分かかる)。
そのターニングポイントに差し掛かると、自分と対象物がない状態になっていって、そこが最高に幸せな場所であって、恍惚としていて、時間も空間も自分も他者も、ひとつになってしまうのだ。その場所があまりにも平和で気持ちが良く、優しいために、そこから戻ってきたくなくなってしまうのだけれど・・・。
Tat Tavm Asi
Aham Brahmasmi
でも、日常生活に戻ってくると、そして特に忙しくしていると、その体験はすっかり忘れてしまい、またすぐに結構思考に振り回されてるわ。
だから毎日継続して瞑想はやった方が良いんだろうなって思うのです。
そして日常でもその平和な状態は時々垣間見ることができているし、この先もまだずっと練習を続ける月日があるのだから、気長にいたら良いんだろうなと思っている。
別にそう計画したわけではないのだけど、元旦からずっと瞑想に関わることの多い2021年だった・・・。
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詳細はこちら☞ダーマトークと瞑想
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サルヴァプリヤナンダ(Sarvapriyananda)のYouTube(英語です)。