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  • 執筆者の写真Kumi Umuyashiki

瞑想のクラス

更新日:2022年2月7日

1月は、Zoomにて瞑想のクラスを2回開催します。

(録画参加も可能になりました)。


◆ 開催日 ◆

・1月23日(土)@7:30~8:15am

​・1月30日(土)@7:30~8:15am


録画はクラス後1週間見られます。


誰でも参加頂ける瞑想のオンラインクラスです。

お話や少しの体の動きを導入する可能性があります。



【用意するもの】

お尻の下に入れるクッションまたは座布。

椅子に座りたい人は椅子。

寒くならないような恰好で。



【参加費用】

・各クラス 1,000円


---


瞑想には、色々なテクニックがありますが、テクニックに囚われすぎると、そこで行き止まりになってしまいます。


私の今日の瞑想は、「どんな方法論も切り捨てていく」というガイドのもとに、行いました。信じているものや、あらゆる理論や、マントラや、何でも良いけれど、今まで練習で使ってきたことを、一切やめましょう、というのが、私の先生がガイドしてくれた瞑想テクニックでした(逆説的ですが、私はこういう彼の指導が大好きです)。



世界(あらゆるもの)は、

(1) 常に変化し続けるものと

(2) 変化しないもの

でできている。


最初に、「空 "void"」とか、「満たされているもの」と表現されるような、静かな状態があるとします。

それは「それひとつ」としてそこにあったのだけれど、そこに対象物が現れて、対象物は二元性(極性)をつくります。

ひとつの対象物は2つになり、またその2つのそれぞれが分裂していくように、次々と多くの対象物が出現します。

人はそういった対象物を追い求め、その対象物たちのどれかによって、自分は幸せになれると信じてしまいます。


だけどある時、どの対象物を手に入れたとしても、対象物は常に変化をし、自分は完全に満たされることがないと、気が付きます。

その違和感や不満が 最高潮に達した時、人は反対の道を歩むようになります。

それは、対象物を減らしていくという道です。

そしてその向かう先が、「空 "void"」とか、「満たされているもの」と表現されるような、静かな状態です。


私のヨガの先生は昔から、私が何かを学んだと言うと、「それは捨ててしまおう」と言ったりしました。

理論は便利だけれど、そこに囚われないで、「変化しないもの側」に、できるだけ留まる練習をしましょうね、と・・・。

10年以上、結局それしか言われていないような気がします。


「変化しないもの」とは、どんなものなのか。


例えば、私には赤ちゃんの頃がありました。

私はその赤ちゃんの自分の写真を見て、「これは私です」と言います。

そして自分が10歳の頃の写真を見て、「これは私です」と言います。

二十歳の写真を見て、「これは私です」と言います。

現在の自分を、「これは私です」と言います。

この先、年を取って、高齢者になっても、「これは私です」と言うでしょう。


でも、それぞれの年齢の私は、同一人物だと分からないほどに変化をしています。

変化をしていないのは、「これは私です」という意識です。


意識とは、見ている側のことであり、対象物とは、変化するものたちのことです。

対象物は変化するけれど、意識はその変化に影響を受けることがなく、「空 "void"」とか、「満たされているもの」として、そこに極性(二元性)を持たずにいつも存在しています。


(上記の「これは私です」は、その言葉を「それは誰ですか?Who am I?」とか、「それは誰に起こっていますか? To whom that is happing?」にしてみたりすることもあります)。


対象物をなくすこととは、日常生活で必要なことや、欲をなくすことではありません。

楽しいものは楽しめば良いし、楽しくないものは、楽しくないって感じたら良いのだよ。


でもちょっと静かに座る時間を持つことで、対象物の戯れを眺める時間を持つことが、瞑想の練習になります。空を飛ぶ鳥たちが、現れたり消えたりするのを、眺めるのと同じように。

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