• Kumi Umuyashiki

心の闇に愛がある


心の中には、闇がある。

この闇が「ハート」なんだ。

そしてそこに、愛があるんだって。


Oshoが言っていた。


"LET LOVE BE YOUR PRAYER (Part 5)"

Oshoの文章を、翻訳してみました。 

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子どもの頃から人々は、芽を摘み取られてきた。

ハートに深く根付いていたはずの根が、切り取られた。


頭の方ばかりへと気を取られるようになり、

ハートが何を感じてるかを受け取れない。


だから人はもう長いこと、苦しい。

だから、愛を感じなから生きることができない。

その理由はこうだ。

愛はリスキー。

愛するとは、危険なこと。


なぜなら愛をコントロールすることなんて、できないのだから。

コントロールできないことは、安全ではない。


愛は自分でどうにかできるものではないのだ。

愛はどう展開するかも分からない。

愛がどんな方向へ向かっていくか、予測なんてできない。

それが何かに到達するのか、不毛であるのかも、誰も知らない。

それは、まったくの暗闇に飛び込むような行為だ。

だけど「根は」、暗闇の中でしか育たない。

もしも木の根が暗闇の深い場所へ伸びることを恐れてしまったら、

そして地下深くへ根を下ろさなかったとしたら、

その木は、死ぬだろう。

暗闇の中へ深く伸びる必要がある。

大地の一番深いところで、

水や栄養を与えてくれる、一番深いところまで、行く必要がある。

「ハート」とは、あなたの、もっとも暗く深い場所だ。

それは真っ暗な夜みたいなものだ。

それは子宮のようなもの。それがあなたの、大地だ。

人は、自分の闇の部分を知ることを恐れる。

いつも光を求めている。

そうすれば、少なくとも、自分がどこにいるかわかるだろう。

そして、何が起こっているかを見ることもできる。

安全で、守られているような気がする。

でも、愛をもって生きる時、

それが、どんな可能性を含んでいるのか、

その愛がどんな結果をもたらすのか、

推測や計算をすることはできない。

愛は、結果ありきの行為ではない。

愛にとって、未来は存在しない。

「いま」しか存在しない。

いまに存在することはできても、

次の瞬間は推測することはできない。

愛を、計画立てることはできない。

社会、文明、文化、教会なんていうものは、

小さな子どもに、もっと理性的になれと教えている。

彼らのエネルギーをハートではなく、頭へ向かわせようとしている。

すると、ハートへ深く入っていくことが難しくなる。

本当は、とてつもない愛をもって、すべての胎児は生まれてくるはずなのに。

人が生まれるのは、愛というエネルギーの源に生まれるはずなのに。

子どもは愛に溢れている。

子どもの小さな目を見れば、どれだけの信頼をもって世界を見ているかが伝わってくる。

子どもは何だって信じる、例えば、蛇と遊んだり、誰か知らない人にさえ、ついていったりする。

子どもは危険な火の近くへ行くのも恐れない。

なぜなら、彼らはそれが危険だと「疑う」ことを、まだ学んでいないからだ。

だから、大人が「疑いなさい」と教えるのだ。

懐疑心を植え付けるのだ。

論理的になるように、教えるのだ。

そうでないと、生きていけないから、と。

恐れを教え、注意しろ、用心深くなれ、と言い、

その結果、愛の可能性が、失われていく。

(by OSHO 翻訳は私)。 

英語はこちら


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