Kumi Umuyashiki
心の闇に愛がある
更新日:2020年7月29日
心の中には、闇がある。
この闇が「ハート」なんだ。
そしてそこに、愛があるんだって。
Oshoが言っていた。
"LET LOVE BE YOUR PRAYER (Part 5)"
Oshoの文章を、翻訳してみました。
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子どもの頃から人々は、芽を摘み取られてきた。
ハートに深く根付いていたはずの根が、切り取られた。
頭の方ばかりへと気を取られるようになり、
ハートが何を感じてるかを受け取れない。
だから人はもう長いこと、苦しい。
だから、愛を感じなから生きることができない。
その理由はこうだ。
愛はリスキー。
愛するとは、危険なこと。
なぜなら愛をコントロールすることなんて、できないのだから。
コントロールできないことは、安全ではない。
愛は自分でどうにかできるものではないのだ。
愛はどう展開するかも分からない。
愛がどんな方向へ向かっていくか、予測なんてできない。
それが何かに到達するのか、不毛であるのかも、誰も知らない。
それは、まったくの暗闇に飛び込むような行為だ。
だけど「根は」、暗闇の中でしか育たない。
もしも木の根が暗闇の深い場所へ伸びることを恐れてしまったら、
そして地下深くへ根を下ろさなかったとしたら、
その木は、死ぬだろう。
暗闇の中へ深く伸びる必要がある。
大地の一番深いところで、
水や栄養を与えてくれる、一番深いところまで、行く必要がある。
「ハート」とは、あなたの、もっとも暗く深い場所だ。
それは真っ暗な夜みたいなものだ。
それは子宮のようなもの。それがあなたの、大地だ。
人は、自分の闇の部分を知ることを恐れる。
いつも光を求めている。
そうすれば、少なくとも、自分がどこにいるかわかるだろう。
そして、何が起こっているかを見ることもできる。
安全で、守られているような気がする。
でも、愛をもって生きる時、
それが、どんな可能性を含んでいるのか、
その愛がどんな結果をもたらすのか、
推測や計算をすることはできない。
愛は、結果ありきの行為ではない。
愛にとって、未来は存在しない。
「いま」しか存在しない。
いまに存在することはできても、
次の瞬間は推測することはできない。
愛を、計画立てることはできない。
社会、文明、文化、教会なんていうものは、
小さな子どもに、もっと理性的になれと教えている。
彼らのエネルギーをハートではなく、頭へ向かわせようとしている。
すると、ハートへ深く入っていくことが難しくなる。
本当は、とてつもない愛をもって、すべての胎児は生まれてくるはずなのに。
人が生まれるのは、愛というエネルギーの源に生まれるはずなのに。
子どもは愛に溢れている。
子どもの小さな目を見れば、どれだけの信頼をもって世界を見ているかが伝わってくる。
子どもは何だって信じる、例えば、蛇と遊んだり、誰か知らない人にさえ、ついていったりする。
子どもは危険な火の近くへ行くのも恐れない。
なぜなら、彼らはそれが危険だと「疑う」ことを、まだ学んでいないからだ。
だから、大人が「疑いなさい」と教えるのだ。
懐疑心を植え付けるのだ。
論理的になるように、教えるのだ。
そうでないと、生きていけないから、と。
恐れを教え、注意しろ、用心深くなれ、と言い、
その結果、愛の可能性が、失われていく。
(by OSHO 翻訳は私)。
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