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  • 執筆者の写真Kumi Umuyashiki

勇気 - トークセラピー

更新日:2021年7月25日


「名前をつけて、仲良くなる」

これは、神経生物学の研究をするDaniel Siegel(ダニエル・シーガル)という医師が、「感情との上手な付き合い方」について言った言葉。感情が分からなかったら、体の感覚に意識を向けてみる。そこから教えてもらうことは沢山あって、そこに感じるものに、名前を付けてみる・・・。


先日、とても素晴らしい体験をさせてもらいました。

CIトークセラピー(Compassionate Inquiry)を一緒に何回か行ってきたAさんとのこと。


普段セッションでお話したことは、他言しないお約束になっているのですが、Aさんとの冒険をシェアさせて頂くことは、ご本人に了承を得て、ここに紹介させて頂きます。


トークセラピーを始めるもっと前からAさんのことは知っていました。Aさんは長い間体調が良くなくて、仕事もできたりできなかったり、という日々を何年も送っていました。


私は自分自身が心身症になって、生活に支障をきたしたことが度々ありました。でも生活に支障が出たお陰で生き方を変えざるを得ないことになり、生き方を変えたお陰で、体や心の症状は良くなりました。「身体がノーと言う」というのを、病やパニック障害のような形で実際に何度か経験をしたのですが、「身体が叫びをあげたのは自分を助けるためだった」と、後になって思えたりします。叫びをあげている最中は苦し過ぎてそんなことを考える余裕はまったくなかったのですが、身体がそこまで叫びをあげないと、人は "馴染みあるパターン" を変えられないのかもしれないですよね・・・。


Aさんとは今年の2月~3月にかけて4回トークセラピーを行いました。体調は去年よりは良くなっていたけれど、お母さんとの関係が難しくて悩んでおられました。お母さんとの関係からのストレスによって体の症状が悪化することに気付いておられました。また、長らく仕事をしていないことについても、これで良いのかな~と感じておられました。


1回目のセッションの際に、「周りの人が大丈夫かをいつも気にしてしまう」、という話になって、それは多分家でお母さんに対しても同じように気遣っていたからだということに気が付きました。そんな話をしながら、もうひとつ気が付いたことは、Aさんは「辛かったことをネタ(冗談)にして、軽く笑い飛ばす癖がある」ということでした。


2回目のセッションでは、「辛いことをネタにして笑い飛ばす自分」について探求してみました。それはAさんをとても幼い頃の思い出に連れて行ってくれました。「小さなAちゃん」は家族の事情で怖い思いや寂しい思いをしていたのだけれど、それを表現してしまうと "両親の重荷" になると解釈して、辛さを我慢していたようでした。Aさんはこのセッションで、小さかった頃のAちゃん(自分)と時間を過ごし、小さいAちゃんが辛かった感情(悲しみ・寂しさ・恐怖)を味わいました。AさんはAちゃんと、しばらく時間を過ごしました。Aちゃんは我慢していたことが多かったみたいで、自由に遊びたいとAさんに言っていました。私たちはAちゃんに自由に遊んでもらいました。

このセッションでは、「辛い思いをネタにする自分のキャラクター」には、笑いにすることで親の重荷にならないように頑張っていたんだと、感謝することもできました。



この後、Aさんはパートに応募しました!しばらくぶりでの仕事になります。

何かが動き出している感じを、Aさんと私は一緒に見守りました。



3回目のセッションで、「自分は鎧を着ていた」ことに気が付きました。鎧は自分のお母さんから自分の身を守るために身に着けてしまっていたものでした。この鎧も自己防衛のために着ていたものだったので、鎧にも感謝をしました。Aさんはこの時期、小さい頃の自分(Aちゃん)とよく時間を過ごし、対話していました。



このセッションの後、Aさんは仕事を始めました。

なんともワクワクする展開でした。



4回目のセッションでAさんは清々しくあり、ハッピーだと言っていました。体調も良さそうでした。仕事も良い人に囲まれ、上手くいっている様子でした。

お母さんとの関係も、反応的になることが減っていました。でも、この先もしかすると、「鎧」や「辛いことをネタにするキャラクター」が登場したり、小さな「Aちゃん」がまた悲しむこともあるかもしれません。それらは身体症状やリアクションとして出現するでしょう。もしそういった反応が表れても、すべて理由があって表れているのだから、それらすべてに思いやりを持つように提案しました。



そこから3ヶ月ぶりで、先日Aさんと5回目のセッションをしました。

3ヶ月の間に、やはりお母さんに対してイラっとくる自分や反応的になっている自分を発見していました。厳しかったお母さんと自分がどことなく似ているように思えたりすることもあったようで、「自分も母親と同じなのか」という言葉が印象的でした。それは、"お母さんが昔自分に言っていたのと同じようなことを、自分がお母さんに言う" ことがあるからでした。


Aさんのお母さんも年を取り弱られたので、Aさんは強気の発言をお母さんに時々(恐る恐る)できるようになっていました。Aさんは小さい時にお母さんに言われたことで傷ついたことがあると、お母さんに伝えることができました。するとお母さんが謝ってきました。

Aさんは今まで散々お母さんに謝って欲しいと思っていたのにも関わらず、お母さんに謝ってもらってもちっとも嬉しくなく、それどころか、違和感がありました。その違和感について、今回は探求してみたいとのことでした。


探求していくと、「Aさんの気持ちを理にかなうようにしなければならない!と頑張っているキャラクター」がいることに気づきました。そのキャラクターは、「お母さんに謝ってもらったんだから気分良くないのはおかしい・・・おかしい・・・」と、めちゃくちゃ頑張って考え続けていました。そのキャラクターは考えすぎて、クタクタに疲れていました。私たちはその「頑張って考えているキャラクター」に冷たい飲み物でも飲んでソファに座って待っているように頼みました。ちょっと休んでもらっていても良いかと聞くと、休んでも良いと答えてくれました。


その「頑張って考えているキャラクター」が休んでる間に、別のキャラクターが出てきました。それは「自分は悪い子だと思っているキャラクター」でした。Aさんはこれまで、お母さんが幼い頃、自分を「悪い子」だと言ってきたことに対して怒りを持っていると思っていましたが、実は自分のことを悪い子だと言っているのは、今やもう、お母さんではなく、自分自身だったということに気が付いきました。それは私たち二人にとって、目から鱗の体験でした。


自分を悪い子だと戒めていたのはお母さんではなく、自分だったということです。Aさんがセッションの中で「自分も母親と同じ」と言ったその言葉が、この新たなキャラクターに導いてくれました。そしてAさんの怒りは、お母さんへの怒りではなく、実は、自分を悪い子だと戒め続けていた「自分自身への怒り」だったのかもしれないということに、気が付きました。だからお母さんが謝ってもピンと来なかった。本当は、自分を悪い子だ!と思い続けてきた自分が自分に謝らないといけないかもしれない?と気が付いたのです。


でも、「自分が悪い子」であることで、親は悪い人にならなくてもすんだのです。

子どもにとって親は世界の中心であり、親なしでは生きていけない。その親を悪者にするくらいなら、子どもは自分が悪い子であることを選んだりします(無意識に)。「自分は悪い子」であることが、親との愛着を失わないための役割を果たしていたのです。そう考えると、自分は悪い子だと思わざるを得なかった自分にも、思いやりを持ってあげないと、可哀想。そうじゃないと、やってこれなかったんだよね。でも、「自分は悪い子だと戒める」役割は、もう必要ないよ~って、言ってあげよう・・・。

嗚呼、自分が自分に厳しくしてたんだね・・・。でももうその役割は、要らないんだ。

どれもこれも、幼い自分が必死に身に着けた、生きる術だったのかもしれないね。


結局今となっては、実はお母さんは、もうそんなにパワーを持たない存在でした。だけど、Aさんの心の中でしていた「自分を悪い子だと裁く心の声」は、小さい頃(たぶん4~5歳以降)にお母さんがAさんに言っていた言葉と同じ言葉だった可能性がありました(超自我 / Super Ego)。


この5回目のセッションは、Aさんにとっても私にとっても、冒険みたいなセッションでした。そして、まあなんとこれまで沢山のキャラクターが出てきたことでしょう。

振り返ると、「周りの人を気遣う自分」や、「辛い思いをネタにする自分」や、「小さくて悲しかったAちゃん」や、「鎧を着ている自分」や、「母親と同じ自分」や、「頑張って考えている自分」や、「自分を悪い子と戒めている自分」が出てきた。Aさんはその子たち全部を仲間に入れて、一緒に時間を過ごすことができました。


この先、きっとそれらのキャラクターは時々顔を出すでしょう。身体症状や、感情や、思考の中に、出現するでしょう。でも、きっとこの5回目のセッションを思い出したら、もっと俯瞰的にそれを眺めることができて、それらのキャラクターと自分を自己同一することがどんどん減っていくのではないかなって思うのです。


Aさんはこれだけ自分の中に飛び込んでいって、それはめちゃくちゃ勇気の要ることだったと思います。Aさんに一番最初に会った数年前は、すごく体調が悪く、ご両親の話さえもできなかった、そこに触れるのが恐くって。でも今、すごいハートがオープンしてる。そして、Aさんの身体の叫びはすごかったのだ。彼女も言っていた。「全身全霊で叫んでいた」と。私もそう思う。そこまで自己主張するAさんの体って、とんでもなくパワフルだったんだなって。



最後に、Aさんへ・・・

Aさん、ストーリーをシェアさせてもらってありがとうございました。

Aさんの問題に飛び込んでいくその勇気がなかったら、私も一緒に冒険できなかったよ。

私もまだまだ問題いっぱい! 自分のことにも、Aさんくらいの勇気と深さで、飛び込んでいけますようにって思っています。



"Until you make the unconscious conscious, it will direct your life and you will call it fate"

「無意識に気付くまで、人生の流れは無意識が決断し、それを自分は運命だと呼ぶ」

心理学者カール・ユングの言葉。

無意識に行っていたことに意識の光を当てることで、運命だと思っていたものが、変わっていく。その可能性は、今・ここ (Here and Now)にいつも存在しているはず。



******


- トークセラピーについて -


2021年に入り、半年の間トークセラピー(カウンセリング)の無料セッションを行ってきました。このプロジェクトはトラウマセンシティブヨガ(TCTSY)や発達性トラウマに対するサイコセラピー(CI)を学びながら行ってきた貴重な体験でした。このプロジェクトに参加してくださったすべての方々に感謝をしています。


このプロジェクトは8月末日で終了になります。

自己探求をしてみたい方、どうぞトライしてみてね。

トークセラピーについての情報は以下のリンクをご覧ください。


コンパショネット・インクワイアリ



身体がノーと言うとき
新しい住まいで

【おまけ】

引っ越しをしました。よく引っ越すね、と言われます。

私はここのところ、安全であり、自分であれる場所を、探し続けているのだろうな。


体の反応とは、ドキドキしたり、胸が苦しくなったり、お腹が痛くなったり、フリーズして動けなくなったり、様々だが、そういう体の反応は自分で選んで行っているのではなく、勝手に自然に起こってくるものだ。


私はここに意識の光があって、色々なワークをしていくことで、認知レベルでの自分への理解が深まったと思う。自分に何が起こっているかをより言語化できるようになったし、今の感情と子どもの頃の感情を分けてみたり、物の受け取り方(解釈の仕方)を昔よりも精査できるようになった。そして、相手を修正するのではなく、「取り組むのは自分」ということの練習も沢山行ってきた。


でも、認知レベル(頭で)理解できたからといって、体の反応が変わるわけではない。

ある程度のワークをしてきた多くの人が、同じことを言っている。

だから、自己調整をする練習が必要だし、相互調整ができるような人間関係を築くことが大事だなと思う。


そして、逃げなければならないという強迫感や、固まってしまうような恐れがあった場合、それを抑圧して我慢しろと言っている自分の声は、どこで学んだ声なんだろうかと、静かにその体の感覚に、聞いてみると良いかもしれない。恐怖やフリーズにも思いやりを持つことを行いたいけれど、それを抑圧しろ!って頑張ってきた裁きを与える役割を担った自分にも、優しくなってあげたい。


大人になっても脳には可塑性があって、脳を書き換えていくことはできると考えられている。それは認知のレベルだけでは無理なことなんだろうな~と思う。私は専門家ではないので正確なことはわからないけれど、体が持つ反応の力の大きさを考えると、体にアプローチすることは、とてもパワフルで、正当なことではないだろうか。

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