• Kumi Umuyashiki

トラウマとスピリチャリティー

2019年から2021年秋にかけて、集中的にトラウマセラピーの勉強をしてきました。


この期間中、アメリカのトラウマセンタートラウマセンシティブヨガ(TCTSY)の認定ファシリテータになり(TCTSY-F)、トラウマに対するサイコセラピー(カウンセリング)"Compassionate Inquiry (CI)"の240時間コースを修了しました。


その中で、サイケデリック・プラント療法(幻覚を起こす植物を使ってセレモニーという形でヒーリングを行う療法)や医療大麻についても、少しだけですが、学んできました。


トラウマ療法にサイケデリック療法が含まれるのは、"ego dissolution"(自我の消滅)ということを行うのであって、その理由は、サイケデリック療法により自我(ego)を消滅した状態で神秘的な体験をすることで、自分は自分が思い込んでいる存在ではなく、本当はもっと深い存在だということに気付くことができるからです。


自分の名前、知っている人、学んだ事、習得した技術、行ったことのある場所、すべての愛、すべての恐怖、すべての欲望、すべての必要性、お金、言語など、すべてを忘れることを想像してみてください。


そこには、何が残るのか・・・?


自由な存在、永遠で自立していて何にも縛られない、純粋で知的な光。魂は生命そのものであり、無限の一部であると同時に有限でもある原始的なエネルギー・・・。

サイケデリック療法では私たちにそんなことを気づかせることで、トラウマによりできてしまった心の傷からの解放を目指します。


こういうことは、ヨガや瞑想の練習でも同じことをしているので、かなり相通じるところがあります。


ただトラウマを抱える人に対しては、彼等が解離してしまう可能性があるという点や、まず自分という感覚を取り戻す(agency)必要がある場合があるため、ヨガや瞑想における自我の消滅へのガイドは、注意深く行う必要がある、または準備ができていない場合は行わない方が良い、と教えられてきました。


またカルト的な集団にいたことがトラウマの原因になっている場合もあるので、ヨガもカルト集団みたいに見える場合もあったりして、(実際にそういう集団もあったりするし)、とてもセンシティブな立ち位置だと思ったりします。


トラウマといっても、そのスペクトラムが広いということもあり、どの程度のところにいるのかによって、何を行った方が良いのかということも、かなり変わってくるということも、先日CI仲間と話していました。


今、Sounds True という、オンラインラーニングサイトを通じて、ソマティック・エクスピアレンシング (Somatic Experiencing: SE)のピーター・リヴァイン先生のレクチャーを受講しています。(私はSEを提供できる立場ではないので、ただ学んでいるだけですが)。


その中でピーター・リヴァイン先生が、トラウマとスピリチャリティについて話をしていたところがあって、興味深かったです。


人は生理的な反応を完結できないことで、体にエネルギーが宿ったままになり、それがトラウマが起きている状態だというようなことを、彼は説明しています。


つまり、「戦うか逃げるか」の反応を生理学が起こしていたとしても、戦ったり逃げたりしてしまうことが命の危険に繋がるのであれば、戦いもせず、逃げもせず、ただ固まっているしかない、という状態になります。だけど、生理学的には、戦う・逃げるというエネルギーが出ているわけで、そのエネルギー放出できないことで、そのエネルギーは体に宿ったままの状態になってしまいます。


本来戦うか逃げるかをすることによってそのエネルギーを放出していれば、人はその後、リラクゼーションにたどり着けることができて、生理的な反応のサイクルは完結すると考えます。


放出できなかったエネルギーを少しずつ放出していくことで、やがてリラクゼーションへとたどり着くのが、トラウマヒーリングの鍵だと、SEでは考えるようです。


その「エネルギー」の話をしている際に、ピーター・リヴァイン先生が、そういったエネルギーとは、生命のエネルギーであり、私たちの「体の知恵」だと言っていました。


そして、そこをスピリチャリティと繋げて話していた点が、興味深かったのですが、チャクラとか、クンダリーニという言葉を使いながら、インドならばそういったエネルギに取り組むワークを伝統的にしてきている、と言っていました。


ただ、トラウマを抱える人は、ある意味、ものすごいイニシエーション(通過儀礼)を受けてしまっていて、そのために取り組むエネルギーの力がとても強くなってしまっている。でも、彼等に合ったやり方で、少しずつそのエネルギーに取り組むことで、エネルギーが持つ知恵に対して開いていくことができるのだ、と語っていました。


エネルギーとは、生命のエネルギーであり、私たちの「体の知恵」・・・。

心に響く、言葉でした。


体の感覚に意識を向けていく練習。


ピーター・リヴァイン先生は、「体の感覚にどんな"変化"があるかを観察することに焦点を当てることが大切だ」と言っていました。

「武道や禅、ヴィパッサナー瞑想でも、そのようなことを行う。トラウマの場合はもっとパワフルなエネルギーに取り組むことになる。でもこれらの手法には、相通じるところがある」と。


そして彼は長年の経験で見て来た事実として、トラウマを癒す過程の中で、多くの人がスピリチャルな旅路に目覚める、と言っていました。

そして、スピリチャリティな旅路を歩む中で、彼等の人生がいかに変化していったかを、クライアント達が教えてくれたと。

サイケデリック療法もスピリチャリティの要素が高いですが、ヒーリングとスピリチャリティとは、きっと無関係ではないのだと思います。


何をどのくらい、どのように練習(活用)するかを見極めるために、"Titration"(滴定)という言葉が使われますが、少しずつやってみて、様子を伺いながら、可能であれば、その量を増やす、多すぎたら減らす、というようなことをします。


そうやって少しずつ少しずつ、自分の体が馴染みあるものになっていって、そこにある感覚に「委ねる」ようになれることが、トラウマヒーリングの鍵だと、ピーター・リヴァイン先生は、言っていました。

なぜならば、私たちの体は、賢いからです。

私たちが体に委ねることができるようになると、そこに予め備わっていた生理学的な反応が、すべて面倒を見てくれて(その際に震えが生じたり、走り出したい衝動に駆られたら、それを起こしていく)、その結果、完結していなかったサイクルを完結することが可能になるため、目的地であるリラクゼーションに到着することが、できるということでした。


そのプロセスについて、ピーター・リヴァイン先生は、仏教の四諦という考えを引用していました。

  • そこには苦がある(苦諦) --- トラウマを抱える人は "reenactment" といって、トラウマが起こった状態を何度も自分で作り出すことで、完結していなかった問題を完結しようと試みる。でもそのために更に傷ついてしまう可能性がある。そこには苦悩がある。でも、苦悩を繰り返してもどうしようもない。

  • 苦には原因がある(集諦) --- 苦悩の原因は「トラウマを起こす原因となった事実」ではなく、それが起こってしまったために、「体にエネルギーが溜まった状態のままになっている」ことと定義している。

ピーター・リヴァイン先生は続けました。

  • 苦悩は終えることができる(滅諦)

  • その苦悩を終える道はある(道諦)



写真はガボール・マテ先生とピーター・リヴァイン先生の対話。 The Wisdom of Traumaのイベントにて。

トラウマセラピー
2021年はこういう対話をライブ視聴できる1年だった

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