Kumi Umuyashiki
トゥーリヤ:4番目の意識状態
更新日:2022年2月1日
1月29日(土)に、今年最初のSteve Rossの瞑想のクラスを開催しました。
クラスの中で出てきた"Turiya(トゥーリヤ)"という「4番目の意識状態」について、クラスの補足としてブログを書くことにしました。
これと同じ内容のブログはSteve Rossのホームページにあるブログにも載せてあるので、読んだ方は重複になります。
Steveも言っていましたが、瞑想の練習でやっていることを、マインド(思考)で理解するのはとても難しいことかもしれません。
例えば、カレーを食べた経験がない人に、カレーの味を説明するのがとっても難しいのと同じようなことなので、頭で理解するのは困難かもしれないけれど・・・。
瞑想の中で「体験」として起こってくると、「このことか」と感じるようになるだと思います。
瞑想の中で起こってくる「4番目の意識状態」とは、「意識の階層が変わる」ようなことではないかと思います。
意識の階層が変わると、世界の見え方が変わってきます。
例えば、今まで赤い色メガネをかけて世界を見ていた人が、そのメガネを外した瞬間、
同じ世界が別世界に見えた、というような体験を想像してみてください。
世界自体は変わっていません。
変わったのは、「赤いメガネ」を外したということなのです。
私たちがかけているメガネというのは、肉体、思考、感情、記憶、歴史、文化、欲望などの産物であり、私たちはそういったフィルター、つまりそれぞれの色メガネを通して世界を見ているのです。
だから、まったく同じ世界でまったく同じ生活をしていても、それを「素晴らしい世界」と受け取る人と、「つまらない世界」と受け取る人がいます。
だけど本来、まったく同じ状況にあるのであれば、「世界」自体はひとつの変わらないものです。
それぞれの人が持つ解釈の仕方が異なるため、同じ世界でも、人の数だけ、異なった受け取り方(色メガネ)があります。
瞑想の練習をすると、そういった色メガネが自然に外れていきます。
普段の私たちは、「肉体、思考、感情、記憶、歴史、文化、欲望といったものが、自分だ」と思いながら生活しています。
これは間違っていることではなくて、確かにそういったことに基づきながら生活しないと、日常生活がまわっていかないような社会なのです。
だけれど、瞑想をしている時に、少しの時間だけかもしれないけれど、「肉体、思考、感情、記憶、歴史、文化、欲望といったものが、自分ではない」という意識状態になることがあります。
この意識状態は「自然に起こってくる」ものなので、頑張ってそこに到達しようとすると、頑張ることが障害になってしまうことがあります。
できることとして、心(思考や感情)を静かにすることがあります。
そのために集中テクニック(マントラを唱えたり、呼吸やチャクラに意識を向けたり)を使うのだけれど、集中テクニックばっかりに囚われてしまうと、「テクニックの練習」で瞑想が終わってしまうため、テクニックに拘りすぎることも、しない方が良いのかもしれません。
瞑想の中では、テクニックを使ったとしても、それはいずれ手放して、その後に「自然に起こってくる」ものに、委ねていきます。
そして自然に「肉体、思考、感情、記憶、歴史、文化、欲望といったものが、自分ではない」という意識の状態になると、色メガネが外れていった、ということです。
この色メガネを、別の比喩的な表現で表してみましょう。
今、私たちが、「水風船」になったと思ってください。
水風船の中には、水が入っています。
水風船はゴムでできていて、水風船には色々な色がついています。
赤い風船、青い風船、黄色い風船。
その中に、水が入っています。
「風船」は色メガネみたいに、私たちが世界をどう見ているか、を決めています。
例えば、赤い風船の中にいる人は、赤い世界が見えるだろうし、青い場合は、青い世界です。
そして、これらの風船の中には、水が入っています。
今、自分が「中に水を含んだ赤い水風船」だと想像してください。
そして、大きな海の中に、その水風船は存在しています。
この大きな海は、全体性として、常に、そこに存在しています。
その中に、「赤い水風船」という自分が存在しています。
「赤い水風船」という自分は、「肉体、思考、感情、記憶、歴史、文化、欲望といったものが、自分だ」と思いながら、海の中を漂っています。
どう考えても、自分はここに広がる海のような、自由であらゆる可能性を秘めた、永遠の存在とは思えません。
そんな「赤い水風船」である自分が、瞑想の練習を開始しました。
練習を重ねていくと、いつしか、「肉体、思考、感情、記憶、歴史、文化、欲望といったものが、自分ではない」というような意識状態に達します。
これは赤いメガネが外れて、世界がありのままに見えるようになった状態と同じです。
赤い水風船に置き換えてみると、「赤い風船が破れてなくなった状態」と言えるかもしれません。
風船がなくなったわけなので、風船の中の水(自分)は、海の一部となります。
「赤い風船」というフィルターが剥がれたことによって、自分はここに広がる、自由であらゆる可能性を秘めた、海の一部(永遠の存在の一部)として存在していたことに、気がつきます。
この「自分は自由であらゆる可能性を秘めた永遠の存在」という意識状態が、"トゥーリヤ"という「4番目の意識状態」です。
そこに留まることを、「意識側へ留まる」と表現するわけですが、わかりにくいかもしれないので、「意識の階層が変わった」と考えてみてください。
海はずっと、常にそこにあった。
その中に自分は「赤い水風船」として、漂っていた。
海の中では、「ありとあらゆること」が、起こっている。
すべてがその海の中で起こっていて、それは、生まれる、生きる、老いる、死ぬ、喜び、苦悩、悲しみ、と、「ありとあらゆることが」、起こっているのです。
そして人は、その「ありとあらゆること」の方ばかりに気を取られて、生きています。
それらの「ありとあらゆること」は、永遠に変化し続けます。
だけれど、その「ありとあらゆること」が起こってくる空間(この例え話では "海")は、変わらずいつも、そこに存在しています。
瞑想で意識が "トゥーリヤ"という「4番目の意識状態」になると、自分は「海」であり、同時にそこに起こってくる「ありとあらゆるもの」でもあるのだと、気がつきます。
つまり、「自分はすべてのものだった」という意識状態になるのです。
そうすると「自分という意識が消滅」します。
= "Ego dissolution"(自我の消滅)
よって、自分と他者という概念も消滅します。
時間や空間という概念が消滅します。
そしてそこに、「ありとあらゆること」が起こってきていても構わない 自由な空間が広がり始めます。
お鍋の中に沸騰している水を想像してみてください。
沸騰しているので、水がポコポコ、水面で泡を立てています。
それを見ていて、その泡ひとつひとつについて、真剣に考えたり、悩んだりは、しませんよね?
意識の階層が変わってくると、人生で起こってくる「ありとあらゆること」が、そんな泡のように見えてきます。
ラマナ・マハルシという聖人がいます。
彼の言葉に、
「来るものは来る、過行くものは過ぎる、なぜそれについて悩むのか」という言葉があります。"Let what comes come, let what goes go, Why do you worry?"
私たちが沸騰するお湯の泡について悩まないのと同じように、意識の階層が変わった(第4の階層)時には、人生のあらゆることに対して、「構わない」という心理状態になっていきます。
それが映画の「白いスクリーン側」として表現される由来です。
スクリーンに映し出されるストーリは、「あらゆる出来事」、「泡」のようなものですが、白いスクリーンは変化せず存在しています。
変化しない方の空間は可能性に溢れています。
そこに触れ合えた時に、祝福や恍惚感を感じ、自我は消滅します。
ラマナ・マハルシに、
「他者をどう扱うべきか?」と尋ねた人がいました。
マハルシは、
「他者は存在しない」と回答したといいます。
これは自分と他者を分け隔ててはいけないというような、倫理的な考えからの回答ではありません。
目覚めた人の意識状態は「自分はすべてと同一」というところにあり、だから「他」という観念が存在しなくなるのです。
これが、"トゥーリヤ"という「4番目の意識状態」です。
ヨガでは体を3つに分けて考えます。
粗大身(物理的な体:起きている状態)
微細身(感情・記憶・欲望など:夢の状態)
原因身(信じてきてしまったもの:深い眠りの状態)
"トゥーリヤ"は、これら3つの体を超越した意識状態と表現されますが、「すべてのこと」を包括するため、実は3つの体も "トゥーリヤ"の中に包括されています。
"トゥーリヤ"のことを、アートマン、ソール(魂)、セルフ(Self)と呼ぶこともあり、それはどこか別の場所に存在するものではなく、常にそこにずっとあったもので、それが本来の自分だったと、瞑想の中で気がついていきます。
"The One you are looking for is the One who is looking"
「あなたが探している者は、自分自身だった」というのは、そういう理由からです。
このあたりまで来ると、眉間に皺を寄せて考えはじめるのが普通の反応なので・・・。
ここで私の先生であるSteve Rossなら、
「さあ、そんなことはすべて忘れてしまいましょう。そのままの自分で良いので、ただリラックスして、座りましょう」
と、冗談交じりに言うかもしれません。
彼のクラスを受けたことがある人は、想像できるはずです(笑)
私は「学んだことはすべて捨ててしまいなさい」と彼に言われ続けてきました(笑)
やっぱりここで書いていることは、思考レベルのことであり、言語で理解している限り、思考なのです。
「体験」が何よりも大切なので、知識を増やすことが体験の妨げにあるのであれば、そんなことは捨てちゃいなって、真面目な私は、Steveに言われ続けてきました!(笑)
読んでいて意味がわからなかった人は、きっと意味がわからなかった方が良かったのね、くらいの気持ちでいてください。
すべて、そのままで・・・。
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